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過去のイベント京都芸術大学 東京外苑キャンパスの講座「アートはどこから来て、どこへ行くのか〜縄文から未来へ向けたアート思考」にゲストとして登壇

10月21日に京都芸術大学(京都造形)の東京外苑キャンパスで柴田”shiba”雄一郎さんの講座「アートはどこから来て、どこへ行くのか 縄文から未来へ向けたアート思考」にて、ゲスト講師として話してきました。

講師の柴田さんによると、農耕型の社会経済が行き詰まりを見せるなか、そこを突破するのは狩猟採集型の思考法だということです。谷中修吾さんの著書「最強の縄文型ビジネス」を引用しながらのお話を引き継いだ縄と矢じりが話したのは、「縄文とアートと文化〜縄文にみるアートの源流」。

「縄文土器はそもそも芸術なのか」という問いかけからはじまり、縄文時代の土器文様の変遷をざっと振り返りつつ、これまで自分たちが縄文旅をしてきた中から、北陸、八ヶ岳、赤城山麓、そして火焔型土器を紹介し、そして、先日の北海道縄文旅で見てきた八雲町遊楽部川で産卵する鮭の様子を動画と写真で紹介しました。

死骸となった鮭が折り重なる横で、産卵をする鮭。そこは強い腐敗臭がして、死も性も生もまったく同価値で存在する世界でした。それが自然界の本質だといえるし、縄文人もおそらくこの風景を見ただろうと。

縄文土器には、死と再生を繰り返す世界が描かれているし、例えば火焔型土器の突起部分である鶏頭冠は鮭と対話しようとした思いが造形として表されているのではないかという話しをしました。

狩りをし、まわりの生き物の命を食べること。そのような認識から生み出された縄文土器。縄文土器は芸術ではないけれど、ルネサンス以降富と権力の象徴となった芸術、あるいは芸術のための芸術という枠を設けて鑑賞する現代の芸術の在り方に比べると、本質をついた縄文土器の在り方は、よっぽど芸術たりえるなと、話しながら思った講義でした。

柴田雄一郎さんのアート思考講座はとても面白く、仕事をする上でも役立つということで人気があるみたい。あまりよく知らずに引き受けましたが、話しを聞いているだけで自由な発想が生まれてくる感じ。京都芸大のコースは今期は締め切られていますが、オンライン学習サイトudemyで、アート思考セミナーに新たな要素も加えた2時間を超えるアート×デザイン思考のセミナーが公開(有料)されています。

ご興味ある方は、こちらから検索してみてください。

https://www.udemy.com/share/103GQw/

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