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JOMON TRAVEL縄文を旅する

第2回 パワースポットと縄文遺跡 代々木八幡遺跡(東京都)

代々木八幡宮は「都内有数のパワースポット」だという。ネットで検索すると、「仕事運を上げる」や「効く!」として、さまざまな芸能人がお忍びで訪れているとの噂に事欠かない。今年の初詣も参拝客が長蛇の列をつくっている様子がニュースで流れていた。

建立は鎌倉時代。祭神は皇室の祖神や源氏の氏神である軍神の八幡宮(応神天皇)。古くは武将が戦いの前に必ず参拝したとされる代々木八幡宮だが、境内には縄文遺跡が出ており、復元された竪穴住居と遺物の展示が見られる。もしかすると、この場所がパワースポットであることと縄文遺跡は何らか関係があるのではないだろうか。早速、縄文人の審美眼にかなった場所を歩いてみたいと思う。

海の退きはじめた沼地に面した高台の遺跡

縄文遺跡を内包する代々木八幡宮は、幹線道路の山手通りと小田急線の線路が交差する少し北側にある。代々木八幡駅から歩いて行くと、一段上に山手通りが通り、神社はさらにその上の面にある。谷底となる駅のあたりは、渋谷川水系の初台川が暗渠となって遺跡のある台地を回り込むように蛇行して流れている。

ブラタモリよろしく高低差を感じながら山手通りへと続く階段を登り、オベリスクのような首都高山手トンネルの換気塔を左に見ながらしばらく歩くと、右手側にこんもりとした小高い森が見えてくる。これが代々木八幡宮の鎮守の森だ。

交通量の多い山手通りからゆるやかな石段を上っていくと、樹齢を重ねた木々が辺りを包み込み、通りの喧噪が遠のいていく。急に鳥のさえずりが聞こえ、なぜかニワトリの鳴き声も。ここは本当に渋谷区なのかと、異世界に入ってしまったような感覚を覚える。

カーブを描く石段を上がると、参道の脇に竪穴住居が見えてきた。
柵に囲まれているので檻に入れられた動物のようだが、れっきとした竪穴住居だ。きれいな円錐を描く茅葺き屋根に入り口がひとつあり、その上に煙抜きの窓がある。
昭和25年の発掘調査で見つかった同じ場所に復元されたものだ。

遺跡の案内板によると、当時この場所は幡ヶ谷丘陵の南方に突き出した半島の端で、海の退きはじめた沼のようなところに面し、背後にはカシやナラの森が広がっていた。境内には今もアカガシの大木が見られるので、臨場感たっぷりに縄文の森の風景を思い起こさせてくれる。

境内からは縄文時代早期から後期にかけての痕跡が出土している。中でも中期後半(約4500年前)の加曽利E式土器の時代の遺物がもっとも多く、土器のほか石器類が発見されている。

加曽利E式土器の時代

神楽殿の脇にある小さな展示館に発掘された遺物の一部が展示されているというので行ってみることにした。

ガラス張りになった4畳半程の展示スペースには土器を作る妻のもとに、狩りを終えた夫が「ただいま」と帰ってきた様子が再現されている。全身が土気色のうつろな目をした人形に目を奪われてしまいがちだが、注目すべきは、その手前に展示されている土器や石器だ。

最も大きな土器は「埋甕炉(うめがめろ)」で、竪穴住居の炉に埋めて使われていたもの。下半分がないのでこれを灰に埋めると五徳のように使えて便利だったのかもしれない。土器様式としては加曽利E式に見えるが、それ以前の勝坂式土器の名残のような眼鏡状の突起がついている。

勝坂式土器は、縄文時代中期前半を代表する土器で、おもに中部高地から関東西部にかけて見ることが多い。顔がついたり、蛇やカエルといった具象的なモチーフが踊ったり、何かがうごめいているような躍動的な印象を残す文様が特徴的だ。しかし、中期後半からの加曽利E式になると、勝坂式に見られた生命感はなりを潜め、口縁部と胴部が明確に分けられ、縄目の地紋に渦巻きやS字などのモチーフを配置したシンプルな土器が多くなる。そこにどんな価値観の転換があったのかはわからない。文様作りに変わる別のムーブメントが興ったのかもしれないし、あるいは土器作りにかけられる時間がなくなったのかもしれない。

石棒にみる性なるお祭り

土器の手前には直径10cm程の石棒がごろんと横たわっている。
どう見ても男性の股間の間についているアレである。考古学では、祭祀の道具とされる石棒だが、ではこれを使ってどんな祭りをやっていたというのだろう。

男根をモチーフにしたお祭りといえば、思い出されるのが4月に川崎大師近くの金山神社で行われる「かなまら祭」だ。身売りされた遊女たちが花見の時期に地べたに座り男根型の像を持ち寄り宴会をしたのが始まりで、今も桜の時期にいろんなタイプの男根型の神輿が街を練り歩く。女装愛好家や外国人の参加も多く、あの形の神輿を嬉々として担ぐ姿を見たときは、その滑稽さに笑いが止まらなかった。

もし、縄文時代に石棒を使った祭りがあるのなら、あのような大らかなムードに満ちていたのではないかと思う。
この時代に「性」は淫靡なもの、卑猥なものではなく、あっけらかんと笑い飛ばすような愛すべきネタだったのではないだろうか。笑って心をやわらかくすることが、男女和合の素直な道だったかもしれないし、命をつなぐために男女の結びつきをおおいに肯定することが、この時代の生き方だったのではないかとも思えてくる。

縄文時代は子どもの死亡率が高かったといわれる。流産は多かったと想像できるし、出産時に亡くなったり、産後の肥立ちが悪く母親が命を落とすケースもあったに違いない。今よりもはるかに生と死が隣り合わせで、祈り願う毎日であったなら、そこに神社ができる以前の信仰の形を見ることはできないだろうか。

沼地に面した高台は、見晴らしが良く、自然界の神々に祈りを届けるにはぴったりの舞台だ。見通しがきくことは狩りをするのに都合がよい。台地の下からは水が湧く。土地の持っている条件が、生き物が生きやすいようにできているのだ。そのような土地は、足を踏み入れるだけで心地よいはずだ。それが、ここがパワースポットである理由のように思う。

最後にもう一度竪穴住居を見て回り、境内の裏手にあるスロープを下って住宅が立ち並ぶ路地に出た。下り坂の先には小田急線の線路。その向こうに代々木公園の森が見える。アップダウンを描く地形に武蔵野台地の存在感を感じながら、山手通りへ。目の前にそびえるオベリスクを見たら、急に現実に引き戻されて境内で感じたことが白昼夢のように思えてきた。

このタイムスリップ感を味わうだけでも面白い。もしもあなたの家の近くに高台の神社があったら是非訪れてもらいたい。そこは縄文の聖地かもしれないから。

 

遺跡に行こう!

代々木八幡遺跡
渋谷区代々木5-1-1
小田急線「代々木八幡駅」下車、徒歩5分
東京メトロ千代田線「代々木公園駅」代々木上原寄り出口より5分
http://yoyogihachimangu.or.jp/index.php

 

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